今日は痩せたかもしれない日記

痩せたかもしれない時に書きます

不安でも移動

台風後の空は快晴かと思ったけれど、雲が案外多かった。ニュースを見るとまだ台風が猛威を振るっているらしい。今までに見たことがないコースで、わからないと言っていた。わからないままどうなったのだろう。外を見ても変わらない日々が目の前にはあるけれど、少し遠くでは変わりすぎた日常になってしまっていた。
休日なので、早番のゆかりさんを見送る。ドアを開けた瞬間に差し込む光がまぶしい。少しずつ景色を見る余裕ができたような気がする。ドアを閉めてチェーンをあける。そしてあくびをしながら部屋へ戻る。窓から歩いている姿が見えるので手を振る。誰も道を歩いていないからゆかりさんは僕に向かって小さく手を振り、それに返す。もう一度あくびをしてテレビをつけて、本を読み始める。もっと本を読みたいけれど。読もうという気持ちがあるのに本棚から本を持ってきただけで満足してしまい、読み進められない。表紙はページの紙よりも重たい。
僕はどんな話を書こうか、そろそろまた書き始めたい。
9月の文学フリマは新刊を出すことができなかったけれど、11月には書きたい。小説を作りたい。創作をしたい。自分だけではもう自分を抑えきれない。でも昔みたいな衝動は心の中だけで存在し、体を動かしてくれない。休むことしか考えられない。生活をすることだけで疲弊してしまう。そのせいでどんどん忘れていく。家と職場の往復だけの景色しか覚えていなくて、昔10年以上住んでいた場所を思い出そうとしても浮かぶのは住んで1年足らずの景色と混ざってしまって場所で、昔なんて掬た砂のようにどんどんこぼれていくのだろう。落ちた砂は風に流されて、最初からなかったことになる。また新しい砂を掬う。その繰り返し。誰かの繰り返しと同じ繰り返しを続けているだけ。
これでいいんだっけ、と思うけれど、今がこうならそうなのだろうと、想像力を必要としないこそあど言葉で自分をごまかす。小説を読む。青春小説はもうどこか遠くの物語のように感じる。当たり前。いつまでも青春ではなく、もう成熟していなければいけないのに、何年前と同じようにツイッターのいいねに浮かれる。知らない人からのメールに喜ぶ。青春小説を読む終わる。こんな行動できた良いなあと思って、自分も外へ行こうと思ったけれど、行先は昼ごはんを買うためのスーパーしかなくて、自分の行動範囲がどんどん狭くなっている。最終的には家だけで終わるのかもしれない。それでも良いけれど。
昼ごはんを食べながら、YouTubeフジロックを見たりしてご飯を食べてすぐ寝転がって、休日を満喫する。小説を書かなきゃなあとか声に出してみるけれど、唯一聞いている天井は僕を無視する。
夜になりゆかりさんが帰宅をし、ご飯を作って食べる。テレビでは墨田川花火大会を放送していて、フジロックといい、花火大会といい家から出ずに夏を体験している。冷房の効いた部屋で夏を味わっている。花火大会の途中でフジロックceroになりそっちに集中して観る。幸せだった。音だけで幸せという風景が浮かんだ。今の生活が正しいような気がした。ライブを見ながらビールを飲み干す。頭の中を鈍らせる。これでよかったなんて正解はない。
わかっているけれど、夏休みの宿題のドリルの一番最後のページには答えが載ってる。僕の最後のページには答え合わせように正解がたくさん書かれているのだろう。最後までわからないのは悔しいので、僕は他人のフリをして小説を書き始める。