今日は痩せたかもしれない日記

痩せたかもしれない時に書きます

炎天下の中での消費カロリーは不明

暑くてとけるような汗をかいているのに痩せないのはなぜだろう。人間の7割は水分なのは嘘なのか。それならば人は見た目が9割なのも嘘なのかもしれない。汗をかけば痩せると思っているのだけれど違うのか。じゃあ熱中症が怖いから冷房のある部屋で毛布にくるまりたい。でも今日も仕事。世間は三連休の最終日。うだるような暑さに連休の終わりの重たさが重なって街を歩く人はコンクリート色に焼かれている。今、目標を掲げなければいけない状況で、目標や私はこうなります!と考えなければいけないのだけれど、痩せたいとか小説書くとかやらなきゃいけないことややりたいことは浮かぶのに目標となると難しい。目標ってなんだ、目標を探すことを目標にします、と言えば僕は一休さんと呼ばれるだろうか。呼ばれたらどうしよう。呼ばれない。呼ばれたとしてもSNSだけだろう。
目標をたてても、それだけでは単なる夏休みの予定を初日にたてて何もしない小学生と一緒で、そこに到達するプロセスを持たないといけない。私はこうします!と提示ができない。高らかに宣言できない。こんな社会は嫌だ!住民税め!税金め!僕は嫌だ!
昨日欅坂の番組をワールドカップ決勝の隙間で、見ていたら平手さんが出ていて、風呂上がりの自分に一瞬だけ見えたけれど、口にすれば燃えて灰すら残らなそうなのでただ思うだけにした。
目標を考えて帰宅する。まだ明るいから時間が早いと勘違いしてしまう。こんなに頑張ったのだから、と帰り道にあるブックオフや本屋へ寄る。誰かの言葉が羨ましい。僕の言葉はなくてなんて書けばいいのか、この言葉にできない何もない、コップに水滴を垂らし続けて溢れるのを待っているような感情をどうしたらよいのだろう。本屋から出るとさっきまでの夕方は死んでしまって夜だけが残り、寄り道から家路へ急ぐ。誰かに答えを代弁してほしいのかもしれない。どうしたらよいのだろうという何も考えていない目標に対して、自分の言葉ではない誰かの言葉を探しているのかもしれない。本は本同士でセックスして本を産むように毎日増えている。僕が求めている言葉は今日返本されてしまった中にあったかもしれないし、普段は見ない本棚の中にあったかもしれない。あるいは自分を見つめ直した奥底にあるのかもしれない。わからないから変わらない。
帰宅してさっき買った本を読む。その前に青春ミステリを読む。青春を体の中に染み込ませる。もうちょっと青春は悩みが具体的だ。青春の中では僕のは悩みではない。小説の中の青空は今日みたいに暑くない。夜になって風が吹く。帰宅する。サウナより暑い。窓を開ける。冷たい風が頬を撫でる。首元に汗が川を作る。暑かったはずの外は家の中に比べると涼しく感じる。さっきまで僕がいたはずの外とは違う。同じはずなのに。さっきまで不快だったのが心地よい気分に変わる。たぶんそういうことだろう。