今日は痩せたかもしれない日記

痩せたかもしれない時に書きます

痩せた?と聞かれた扇風機は首を振っている

ようやく心が落ちついたのか、本棚の整理ができた。ずっとやろうやろうと思っていたのに動くことができなかった。先日の地震で本の山が一つ崩れてしまったので、早急にやらねばと思っていたけれど、動けなかったのだけれど、少しずつ考える余裕がでてきたようで、本を整理していく。今度書く小説のために買った本が溢れていた。青春が山のようになっている。どんどん読んでいかなきゃ、と思うのにボタン一つで思考を奪えるスマホのゲームばかりをしてしまう。小説を読まなきゃ、と思うと読めない。頭に物語を入れる余裕がなかった。なんでこんなに余裕がなかったのだろう。本棚がきれいになっていくように少しずつ思考もクリアになっていく。
本棚を片付け終わった後は、用があって新宿の伊勢丹へ行く。休日の新宿は日本語が聞こえなくなる。歩くたびに路面店の鋭い冷房が一瞬だけ自分の体を通りぬけていく。いつもの休日のような恰好は新宿には紛れられたけれど、伊勢丹の中では少し浮いてしまっていた。自分の頬を撫でて、髭の感触を確かめる。髭くらい剃ってくればよかった。居場所がなくなる。歩くスピードは速くなるけれど、目的地がわからない。方向音痴はこれだから。デパートの中はスマホの地図でも対応してくれない。店内の地図を見ても、自分が今どっちの方向を見ているのかわからない。自分を客観的に見ることができない。これと方向音痴とさえなかったら、もう少しうまくいったのかもしれない。伊勢丹で買い物を済ませる。伊勢丹の紙袋は僕の恰好のステータスをぐっと上げたような気がした。あえて髭を生やしているように見られるだろうと思った。あえて休日のような恰好をしている気分になったので、少しゆっくり歩くことができた。ゆかりさんが日傘を見ているのも余裕を持って待っていられた。伊勢丹の紙袋がなかったら、もうここにはいられず、ゆかりさんにはブックオフへ行ってくる!と伝えてホームのブックオフへ行くところだった。
そして今日はタワレコで久々にCDを買ったのだった。横沢俊一郎「ハイジ」ずっと買おうと思っていた。吉祥寺にある古本屋で見つけて買ってアルバムも欲しかった。でもアマゾンで買おうとすると送料がかかってしまい、僕の行動範囲にはCD屋はなく新宿か渋谷へ行ったとき、と思っていたが、いざその街に来てもタワレコのことを思い出すのは帰りの電車の中で、ああ今日も買えなかったと思っていたCDを買った。タワレコへと向かうエスカレーターに乗りながら、CDが回るように気分が変わっていく、音楽小説を書いたことを思い出す。新宿のタワレコが舞台だった。好きな子がタワレコの店員だった、みたいな話だった。また書き直してもよいかもしれない。久々のタワレコは人が少なく見えた。単純に発売日ではないからかもしれないけれど。時代が変わっていくのかもしれない。
帰宅して、急にちびまる子ちゃんの映画の映像が見たくなる。DVDにもなっていない映画で、音楽と映像がすごく好きだった、でも内容の記憶はなく、ゆかりさんに知っているか尋ねたけれど覚えていない様子だった。動画はないのか、と調べるとニコニコ動画にはあって、しばらく見る。そして大滝詠一をすごく聞きたくなりはっぴいえんどを聴きながら日記を書き始める。音楽のように言葉が埋まればよい。
この後は乃木坂の番組まで小説を読む。書くことを思い出していく。小説を書く。たくさん書く。これしかないはずだったのに、普通の人と同じことを低次元でやっていた。余裕がなくなって、自分が消えてただの風景になってしまった。気付いてよかった。気付かされてよかった。アイスを食べる。アイス総選挙では圏外だったアイスでもおいしかった。扇風機はずっと首を横に振っている。夏の暑さを否定している。