今日は痩せたかもしれない日記

痩せたかもしれない時に書きます

歩いて痩せる

外に出るとまるで夏みたいに青が広がっていて、コンクリートへの照り返しがまぶしく、瞬いたら目の裏側にまで光と熱が残るような天気でもう夏だと思っても5月でまっすぐな道をゆかりさんと歩く。まっすぐな道の消失点には空があって、駅にたどり着いて、電車のドアが開いてもまだ空調がついていない季節だからか、まだ外にいるような気がした。久々の連休で、しかもゆかりさんと休みが合うことが珍しいので隣町にある商店街まで遊びに行くことにする。駅前にはその商店街のゆるキャラが子供たちと戯れていて、でもキャラクターの目が死んでいて、屍が操られてじゃんけん大会をしているように見えた。思わず写真を撮った。死んだ目と僕の死んだ目は合っていたはずなのに、キャラクターは何も写真へはポーズをしてくれなかった。じゃんけん大会の説明中だったせいかもしれない。アーケード商店街を歩く。先が見えないくらいに長い商店街で、昔ながらの店やチェーン店が混ざって、上空には龍がいてなんだかどういう街なのだろうと思いつつ歩く。特にあれがある、これがあると見つけつつ話しながら歩く。特に新しい発見はないけれど、なんだか日常が続いて楽しい気分になる。ただその商店街にはブックオフハードオフがあって、ゴールデンウィーク全日あらゆるブックオフに行っていることに気付いた。明日も行くので毎日に行くことになる。歩きながらアイスも食べた。痩せなければいけないのだけれど、ドラゴンボールの龍の道ほどの長さの商店街を最後まで歩いたので、これは相当なカロリーを消費したので、食べても大丈夫なはずで、むしろマイナスになっているかもしれない。商店街を堪能して帰宅して、お好み焼きと焼きそばを作り食べながら『PARKS』という吉祥寺の映画を観る。想像していたより青春映画だった。商店街でノートを買ったのでそこに観て思ったことを書く。今までは全部記憶できていたのに、放出しないせいかどんどん忘れてしまうので、記憶するために何を考えていたのかを書くノートを作った。映画を観終わり、夜の散歩をする。なんとなく休日のせいか小躍りしたくなるような夜と街灯だった。イヤホンから流す音楽は少し激しい音楽にして歩くリズムを作る。そういえば文章を書く時に音だということを忘れていた。どんどん忘れていく。言葉を音としてではなく、文字として学問として考えてしまって頭の中が固くなってしまったせいで全然面白くない言葉の羅列になるしかない日記で自分のための言葉が誰かに見られているという言葉になってしまって、どこまでも落ちていかない喉にも引っかからない味のないガムのような文章になってしまっている、ということには気づき始めているので、ようやくまた小説が書けるかもしれない。小説を書くことができたら無印良品に売っているような文庫本を作りたい。小説を書けるようになりたい。痩せたい。そんなことを考えながら、ゆかりさんと緊急家族会議をする。僕らの考えていることは似ているから整理をして、今何がしたいのかとか、何が必要なのかを話した。なんとなく、今僕が活動をするには小説のことより、第三者的な活動を理解して全く違う視点で話や意見交換のようなことができる人がいたら、もっと小説を書いて発表するということが苦痛じゃなくなるのだろう。結構頭を使ったので、だいぶカロリーを消費したと思う。これはもうがりがりだ。でも明日の文学フリマで知り合いに会うのは嫌だ。