今日は痩せたかもしれない日記

痩せたかもしれない時に書きます

髪を切って痩せたといえるほど切った失恋じゃないのに

髪を切った。ゴールデンウィーク中のショッピングモールは子供連れが多くて下を観ながら歩いてちょうどよかった。朝にiPhoneの中に入っている音楽をどうしようか考えてしまい全部消してしまったせいでイヤホンをしていない。そのせいで喧噪が直接耳の中に入る。こんなに音が溢れているのに音楽を聴くのはなぜだろう。最近ずっと考えてしまう。だんだん鈍っていく自分がわかる。アンテナを張っていないいないというか、興味を持たないように気持ちを整えていて、好きなバンドの新曲も見ないフリをする。今までは膨大な音楽をiPhoneに入れて満足感があった。どこでも自分の好きな気分で、環境で合う音楽を選ぶことができるという安心感があった。でも今はどれを聴いたらわからずラジオばかり聴いてしまう。時間だけがただ過ぎる。一番好きだった音楽も忘れてしまっていた。もう興味がないのかもしれない。この日記にしてもそうだ。文章がうまくない。もともとうまくはなかったけれど、それ以上に下手くそだ。何を書いているのだろう。自分が痩せないことを何かのせいにしたいはずなのに、何も書けていない。誰かに伝えようという気はなく、自分にも届けようともしてない。これはやばい。これで小説を書こうというのだからばからしい。もう若くないんだから、感情のままに書きなぐった文章は、幼く見えますね、と言われて喜ぶ三十代のように見苦しい。幼いだけ。感情をいかに深く伝えるのが大人なのかもしれない。聞く音楽すら選べなくなってしまった脳みそで書く文章はちぐはぐで、自分の血肉も注げていないせいでつまらないし痩せない。気分を変えなければいけないと家の近くになるショッピングーモールまで歩く。家族連れが歩いている。僕も近いうちこうなるのだろう。映画のなか、物語の中にしか浮かばなかった現実が近いところにある。でもそこまでには捨てるものがたくさんあると思ってしまっている。でもそれでもいいと思っていたのに、また日記を書き始めて、少し文章を書く感覚が戻ったら小説を書くのだろう。書くために文章の書き方なんて為にならないであろうハウツー本を大量に買って満足してしまっている。本棚まで太らそうとしている。知識はやせ細っているというのに。考えなくなって、同じことばかり考えてしまって、毎日は同じで繰り返しを繰り返し続けたせいで、狂いそうになっていることに気付かない。違うのは食事だけ。食事にだけ逃げる。それが音楽だったはずなのに。変わってしまった。髪を切った。切り終わった髪の毛が集められると自分の顔以上に黒々と膨らんだ状態で落ちた。目の前の鏡に映る自分は想像より髪の毛が短くなっていた。その分痩せたのだろう。もしかしたらキロ単位かもしれない。でも髪の毛は伸びていく。そして僕の伸びしろはまだあるのか。そんなことを考えつつ、ゆかりさんを迎えに行く。初々しさの消えた僕の頭の中にまだ価値はあるのだろうか。もう少し書いていてもいいのだろうか。もう何もなくなってしまう前に、今書いている手ごたえのある小説を完成させたい。あれは若者しか書けない小説だ。まだギリギリ若者にしがみついている。若者って今何をしているのだろう。考えがどんどん痩せていく。ゆかりさんも同様に年齢について考えているらしく、今自分の年齢くらいの人たちで集まったときに何を食べていいかわからない、と言っていた。なんとなくわかる。ごじゃれたカフェなのか、チェーン店なのか。僕もゆかりさんもチェーン店が好きなので今日の晩御飯はてんやになった。昨日からてんやがいいね、と話していたので、昼はおかゆを食べた。本当ならピザが食べたかったのに。ピザの円の中に自分の思考をチーズのようにまぶして食べて、糧にしたかった。帰り道、ゆかりさんはすぐにアパートと空き室を見つける。僕は普段景色に集中していないから気付かない。でも毎日通る道の花が少しずつ枯れていく様子だけは知っている。でもゆかりさんには伝えなかった。なんとなく。