今日は痩せたかもしれない日記

痩せたかもしれない時に書きます

5/16の日記

起きる。変な夢を見たような気がする。でも起きた瞬間に忘れている。誰か芸能人が出ているような、でも思い出せない。目を開けるとテーブルを挟んで隣ではゆかりさんが仕事の準備をしていて、ぼやけた目でスマホを見ると、仕事があるときに起きる時間より少し早かった。テレビはほとんど音が出てない小ささでニュースを伝えていた。ぼやけた視界ではなにを伝えているのかわからなかった。一度目を閉じる。

目を開けたのは10分後で、ようやくぼやけた視界が晴れてきて、テレビを見ると、若者が財布を見せていた。一度あくびをして、ゆかりさんにおはようと言うと、ぼやけた声で返事が返ってきた。しばらくツイッターを見る。おめでとうLINEに返事をして、もっとかまってもらいたいので誕生日アピールをする。するとゆかりさんが急にお誕生日おめでとうと言う。いきなりだったのと、独り言のように聞こえたので返事をしないでいると、寝ているのかなと覗き込まれたので、今起きたフリをした。起きてすぐ、32歳になってしまったから国から5億円くれないかなあとつぶやく。5億もらったらどうするの?と聞かれて、しばらく考えて貯金と答えるとゆかりさんはもらう意味ないじゃん、と言う。なんていうか安心感が欲しいのかもしれないなあと思ったけれど、言わなかった。しばらくしてゆかりさんがもう出る時間になったので、僕は起き上がりトイレに行き、洗濯の準備をする。洗濯機のスイッチを入れると、ゆかりさんはゴミを持って出かけていった。僕は痩せるために音楽を流しつつ動く。洗濯機が動く音がして外では登校の声が聞こえる。その中に泣き叫ぶ声が聞こえて、しばらく聞きながら本を読む。本は元カレの思い出を聞いて文章にしたもので、とても面白い。読んでいる最中に洗濯が終わった音が聞こえたが無視をして読み続けてしまう。終わって伸びをして洗濯物を干す。外は晴れている。

 


夜中に暑さで目がさめる。寝て起きるまでは16日の気分が消えるかと思ったけれど、まだ16日の夜中という認識でいてしまう。

暑さで毛布が身体にまとわりついていたので剥いで時間を見る。もう少し眠れそうなので目を閉じようと思ったけれど、やめてトイレへ行く。トイレから戻ると目が夜中に慣れてきたのか、薄い藍色の光で部屋が染まっていることに気づく。遠くには鳥のさえずりも聞こえた。その瞬間、あ、これだ、と思った。この光の感触を言葉にして伝えられたら良いのになと思っているから文章が好きなのかもしれないと思った。瞬間を切り取って画面にするよりも、瞬間を言葉だけで作る方が好きなのかもしれない。画面は切り取るだけで、最終的には色しか残らないような気がする。言葉は重ねるだけ重ねられる。藍色の光は夜明け前の色で、僕がその色に気づいたのは多分誕生日の幸福の余裕があったからで、いつもは気付かず眠り続けているだろう。

書いておかなきゃと思って書いたけれど、ちょっと考えていることの表面しか書けていない。書こうとしていない。本当に大切なことはどうやってことばにしていこう。

なんとなく思って二度寝する。起きたら5月17日。

炎天下の中での消費カロリーは不明

暑くてとけるような汗をかいているのに痩せないのはなぜだろう。人間の7割は水分なのは嘘なのか。それならば人は見た目が9割なのも嘘なのかもしれない。汗をかけば痩せると思っているのだけれど違うのか。じゃあ熱中症が怖いから冷房のある部屋で毛布にくるまりたい。でも今日も仕事。世間は三連休の最終日。うだるような暑さに連休の終わりの重たさが重なって街を歩く人はコンクリート色に焼かれている。今、目標を掲げなければいけない状況で、目標や私はこうなります!と考えなければいけないのだけれど、痩せたいとか小説書くとかやらなきゃいけないことややりたいことは浮かぶのに目標となると難しい。目標ってなんだ、目標を探すことを目標にします、と言えば僕は一休さんと呼ばれるだろうか。呼ばれたらどうしよう。呼ばれない。呼ばれたとしてもSNSだけだろう。
目標をたてても、それだけでは単なる夏休みの予定を初日にたてて何もしない小学生と一緒で、そこに到達するプロセスを持たないといけない。私はこうします!と提示ができない。高らかに宣言できない。こんな社会は嫌だ!住民税め!税金め!僕は嫌だ!
昨日欅坂の番組をワールドカップ決勝の隙間で、見ていたら平手さんが出ていて、風呂上がりの自分に一瞬だけ見えたけれど、口にすれば燃えて灰すら残らなそうなのでただ思うだけにした。
目標を考えて帰宅する。まだ明るいから時間が早いと勘違いしてしまう。こんなに頑張ったのだから、と帰り道にあるブックオフや本屋へ寄る。誰かの言葉が羨ましい。僕の言葉はなくてなんて書けばいいのか、この言葉にできない何もない、コップに水滴を垂らし続けて溢れるのを待っているような感情をどうしたらよいのだろう。本屋から出るとさっきまでの夕方は死んでしまって夜だけが残り、寄り道から家路へ急ぐ。誰かに答えを代弁してほしいのかもしれない。どうしたらよいのだろうという何も考えていない目標に対して、自分の言葉ではない誰かの言葉を探しているのかもしれない。本は本同士でセックスして本を産むように毎日増えている。僕が求めている言葉は今日返本されてしまった中にあったかもしれないし、普段は見ない本棚の中にあったかもしれない。あるいは自分を見つめ直した奥底にあるのかもしれない。わからないから変わらない。
帰宅してさっき買った本を読む。その前に青春ミステリを読む。青春を体の中に染み込ませる。もうちょっと青春は悩みが具体的だ。青春の中では僕のは悩みではない。小説の中の青空は今日みたいに暑くない。夜になって風が吹く。帰宅する。サウナより暑い。窓を開ける。冷たい風が頬を撫でる。首元に汗が川を作る。暑かったはずの外は家の中に比べると涼しく感じる。さっきまで僕がいたはずの外とは違う。同じはずなのに。さっきまで不快だったのが心地よい気分に変わる。たぶんそういうことだろう。

返事を書く前に手紙がそもそも届いていない

内緒で松屋の大盛りを食べた。太るだろう。小説を書かなけばいけないと思えば日々は簡単に過ぎていき、昨日だって日記を書いたら小説を書くんだと思って日記を書き終わった瞬間には寝ていた。起きたのは明け方で、少しだけ小説を書こうと思ったけれど、二度寝の方を取った。誘惑に勝てない。小説を書いてほしいという声が聞こえないのに書き続けるのにはどんな理由があるのだろう。求められていないのに作る理由とは、なんて考えてしまうし、そしたら食器を洗う方が感謝されるってことも知っているのになんでだろう。最近日記を読みたいんだよね、とつぶやいたらネット上の人たちが日記を送ってくれる。みんな生きている。ああ、暑いのはみんな同じなんだ、僕もアイスを食べたよ、なんて返歌のように日記を書けたらいい。働いていなかったころ、50人近くに日記をLINEで送っていた時期があって、その時の人たちはみんな何をしているのだろうと思ったけれど、もうたぶん覚えていないのだろうなとも思う。どんどん時間は過ぎていく。いつの間にか夜が朝になり朝が夜になる。繰り返しているせいで毎日が折り畳まれるように終わる。昔はもっと時間が長かったような気がする。今日も簡単に終わらず明日に絶望していた。今はただ毎日を過ごしているだけ。小説を書かなきゃと思ってもう明日になってしまう。ワールドカップが始まり、また日記を書き終わったら眠くなるだろう。日記を読んでます、と今日言われて気がついた。この日記は誰のために書いているのだろう。忘れてしまった。覚えていないことは忘れないはずなのに。頭の中では書こうとしている小説が映像になっている。繋げるために文章を考える。そのための日記。そのための青春小説。そのための日々。変わらない。

ここ最近毎晩阿久津隆「読書の日記」を何日分か読むのが日課になっている。そして青春小説を読むためにかつて読んだことのある青春小説を輸血をするように読み直している。高校生の時に読んだ本を読み返す。何も変わらないと思いつつ過ごしていつの間にか子どもの感情のまま大人になってしまったなんて思っていたけれど、高校生は高校生でもう自分はおじさんだった。文章を読んで若いなんて思ってしまった。青春小説を読み返して青春小説を書く。曖昧な青春を書く。自分の過去の青春は欠落してしまっている。ピースのないパズルのせいでどんな絵だったか思い出せない。廊下からプールが見下ろせたことはなんとなく覚えている。切り取られてしまった風景を思い出すように青春を読む。まだ小説を書けていない。書き始めたら早いだろうか。もうずっと書いていないからどう書いたら良いのか思い出せない。一体何を覚えているのだろう。帰り道の風景も忘れていく。何が残っているだろう。インターネット上の自分は自分に似た誰かのようだし、全てを忘れてしまうのかもしれない。明日で連勤も終わる。急遽一人の勤務になってしまい、どうしようと言ったはずが誰にも聞こえていなかった。

痩せたらかっこいい、喋らなければモテると行けたら行くみたいなこと

目が覚める。でもまだ外は明るくなりかけでスマホで時間を確認すれば、まだ4時でテレビをつけるとワールドカップがやっていて、寝ている間に人生をかけたような試合がやっていたことに、僕はなぜ寝ていたのだろうなんて考えることはなく、必死で走っている選手を見つめる。惜しいシュートに声を上げそうになる。少し熱くなったかもしれないと思ったけれど、今日は暑いようで、試合が終わって負けたほうの国の選手がグラウンドにうなだれるのと同時にテレビを消して、二度寝。起きると、やっと朝。暑くておはようよりうめき声が漏れる。その声すら燃えてしまうのではないかと思うくらいの気温。扇風機の幸せの風は首振りのせいで、一瞬だけの幸福で終わる。起き上がるしかない。なんで働くのだろうなんて考えつつ歯を磨く。会社辞めます!と言ったところで何かがはじまるわけではなく、もう一日は始まっていて、もう窓や洗面所の掃除用具になりそうな歯ブラシを使って歯を磨く。鏡の前に映る自分の髪型は昨日マツコの知らない世界で見た盆栽のようなうねりを帯びていて顔を洗うついでに水をつける。元気がなくなった髪の毛は寝る。一緒に寝たいと思うけれど、着替える。毎日の繰り返し、朝のニュースの特集は何をやっているのか見ているはずなのに、内容が入ってない。朝の番組を真剣に見ている人はいるのだろうか。なんてことを考えながらごみを持って、いってきます。ごみは収拾されていく時間あたりに僕は出社をする。会社の到着の直前に、スカイツリーが見る。今日は先っぽまで見えた。
さて働くぞと思って、働きを終える。一瞬の出来事にしたけれど、ただただ忙しいだけだった。
と書いてみたけれど、特に面白いわけでもなく、帰宅して日記を書く前に歯を磨こうとして古い歯ブラシから新しい歯ブラシに変えて、面白くないなあ、と思いつつ歯を磨く。新しい歯ブラシはパッケージが恐ろしくダサい。デートにえ、パジャマで来たの?と真剣な恰好ですら、パジャマでお邪魔気分だと思われてしまうような僕ですらダサいと思うパッケージ。「極」と書かれた歯ブラシはよく磨ける。ダサいパッケージからは想像できないくらい磨き心地が違う。だからたくさん歯を磨いてしまう。鏡に映る自分を見つめる。歯を磨く手の動きのスピードを見つめる。昔に観た映画の中に歯を磨くシーンがあった。ドキュメント風の作品で、歯を磨いている男を彼女が撮っているシーンで、素早く手が動いていた。カメラで映しながら、彼女はもう彼と別れようとしていた。画面は少し手ぶれとは違うように震えていた。その彼女の目線と自分の目線を重ね、彼と僕を合わせる。歯磨き後は爽快だった。
そんな一日。ずっと毎日。
フリクリの予告編を見る。昔に観て興奮したのが嘘のように冷静になった。もう僕は衝動で飛べないのかもしれない。

痩せた?と聞かれた扇風機は首を振っている

ようやく心が落ちついたのか、本棚の整理ができた。ずっとやろうやろうと思っていたのに動くことができなかった。先日の地震で本の山が一つ崩れてしまったので、早急にやらねばと思っていたけれど、動けなかったのだけれど、少しずつ考える余裕がでてきたようで、本を整理していく。今度書く小説のために買った本が溢れていた。青春が山のようになっている。どんどん読んでいかなきゃ、と思うのにボタン一つで思考を奪えるスマホのゲームばかりをしてしまう。小説を読まなきゃ、と思うと読めない。頭に物語を入れる余裕がなかった。なんでこんなに余裕がなかったのだろう。本棚がきれいになっていくように少しずつ思考もクリアになっていく。
本棚を片付け終わった後は、用があって新宿の伊勢丹へ行く。休日の新宿は日本語が聞こえなくなる。歩くたびに路面店の鋭い冷房が一瞬だけ自分の体を通りぬけていく。いつもの休日のような恰好は新宿には紛れられたけれど、伊勢丹の中では少し浮いてしまっていた。自分の頬を撫でて、髭の感触を確かめる。髭くらい剃ってくればよかった。居場所がなくなる。歩くスピードは速くなるけれど、目的地がわからない。方向音痴はこれだから。デパートの中はスマホの地図でも対応してくれない。店内の地図を見ても、自分が今どっちの方向を見ているのかわからない。自分を客観的に見ることができない。これと方向音痴とさえなかったら、もう少しうまくいったのかもしれない。伊勢丹で買い物を済ませる。伊勢丹の紙袋は僕の恰好のステータスをぐっと上げたような気がした。あえて髭を生やしているように見られるだろうと思った。あえて休日のような恰好をしている気分になったので、少しゆっくり歩くことができた。ゆかりさんが日傘を見ているのも余裕を持って待っていられた。伊勢丹の紙袋がなかったら、もうここにはいられず、ゆかりさんにはブックオフへ行ってくる!と伝えてホームのブックオフへ行くところだった。
そして今日はタワレコで久々にCDを買ったのだった。横沢俊一郎「ハイジ」ずっと買おうと思っていた。吉祥寺にある古本屋で見つけて買ってアルバムも欲しかった。でもアマゾンで買おうとすると送料がかかってしまい、僕の行動範囲にはCD屋はなく新宿か渋谷へ行ったとき、と思っていたが、いざその街に来てもタワレコのことを思い出すのは帰りの電車の中で、ああ今日も買えなかったと思っていたCDを買った。タワレコへと向かうエスカレーターに乗りながら、CDが回るように気分が変わっていく、音楽小説を書いたことを思い出す。新宿のタワレコが舞台だった。好きな子がタワレコの店員だった、みたいな話だった。また書き直してもよいかもしれない。久々のタワレコは人が少なく見えた。単純に発売日ではないからかもしれないけれど。時代が変わっていくのかもしれない。
帰宅して、急にちびまる子ちゃんの映画の映像が見たくなる。DVDにもなっていない映画で、音楽と映像がすごく好きだった、でも内容の記憶はなく、ゆかりさんに知っているか尋ねたけれど覚えていない様子だった。動画はないのか、と調べるとニコニコ動画にはあって、しばらく見る。そして大滝詠一をすごく聞きたくなりはっぴいえんどを聴きながら日記を書き始める。音楽のように言葉が埋まればよい。
この後は乃木坂の番組まで小説を読む。書くことを思い出していく。小説を書く。たくさん書く。これしかないはずだったのに、普通の人と同じことを低次元でやっていた。余裕がなくなって、自分が消えてただの風景になってしまった。気付いてよかった。気付かされてよかった。アイスを食べる。アイス総選挙では圏外だったアイスでもおいしかった。扇風機はずっと首を横に振っている。夏の暑さを否定している。

コンビニでお菓子を買わなかったので実質痩せた

印刷をしたいメールと、添付ファイルが昨日来たので、家にプリンターがない僕はコンビニで印刷しようとUSBメモリを探した。小説を書かなくなってしまったのでもう保存することがなくなってしまった。家の中を探す。引っ越して使わなくなったものを入れている袋の中にUSBメモリを見つける。もう一つあったはずだと思うのに見つからない。見つけたUSBメモリをパソコンに挿入。大量の文章ファイルが見つかる。2015年を最後に更新されていない文章ファイルの数々。2013年のものもある。おそらく元カノを誤訳という団体名に変えてからのファイルで、小説にもならないブログにもならない文章の欠片たちがゾンビのようにメモリの中にいた。
過去の自分と向き合う。
もう三十代に突入し二歩目を歩きだしようやく三十代という年齢を歩き始めた時に、二十代の情熱は少し胸焼けしてしまう。嚥下できない浅くて軽い言葉の端々はまだちょっとだけ読むことができる表現で、昔の自分が他人のように思えてくる。この日記も何年後かに見たら変わるのだろうか。読み返すことはないだろうけれど。懐かしさの中に最新のファイルをドロップして、コンビニへ印刷するために歩く。このUSBメモリを使っていた時は今と違う場所にいた。そこは街灯が少なくコンビニも遠かった。今はLEDの街灯が白くコンクリートを照らし、コンビニも近くにあるので昔住んでいた場所とは違い、暗闇に浮かんでいるようには見えない。人通りも多い。コンビニの中には人がいる。誰もいないコンビニの最新号のジャンプは本当に最新号か疑ってしまうようなところに住んでいた。田舎でもない都会でもない場所は静かに残酷でここでいいかと簡単に諦めてしまいそうになる。楽だけど不便な場所だった、と印刷をしながら考えていた。ついでに最近ツイッターで大好きな人のネットプリントもする。今とは違う場所にいた過去の僕は今の僕を見て何を思うのだろう。なんとなくまた向き合う。つまりは過去を誤訳して小説とか日記とか文章を書く。なんとなくって言い訳しながら。