今日は痩せたかもしれない日記

痩せたかもしれない時に書きます

小説を書いたり日記を書いているのだけれど、ゆかりさんには見せたことがない。もしかしたら勝手に読んでいるのかもしれないけれど、読んだことを聞いたことがないので読んでいないのだろう。
ゆかりさんに読んでほしいから書いているわけではなく、自分の中にある物語をどうにか昇華させたくて書いているなんて恥ずかしいことを言いたくはないし、自分の中には物語なんて存在しない。どうにか自分という人間を認めてもらいたくて書いている気がする。ツイッターできわどい写真を撮ってらぶりつくださいという彼女らと変わらない感情で、書いてしまっているところがあってぶつかった。何に。壁に。
日記を書いていて、今までならば自分の読んだもの聴いたもの観たものと経験を駆使してこっちの方が面白いなと判断して選択をしているのだけれど、今はこれは面白いのか?どうなのか、という選択ができなくなっていて、自分は面白いと思うような気がしている曖昧、みたいな頭を振ったら壊れたおもちゃのようにコロコロと鳴ってしまうほど、自分の判断があやふやになってしまっている。おぼろげな感覚の中で書いている文章は書き終わっても、どこか浮いてしまっているようで、書けたという満足感しかない。これを見られても大丈夫なのだろうか、これは読めるものなのか。不安になって体には負担になって、ファンなんて増えない。読んでくれる人はいない。そんな文章しか書けなくなって、これだとみんなに嫌われてしまう。
みんな?
みんなって誰だ。誰に向けて僕は文章を書いているのだろう。夜中のコンビニのようにここにいることを確信しつつ光り続ける存在に無意識で憧れていたのか。みんなにむけて、誰かに好かれたくて書いている文章だから全然面白くない。ゆかりさんに読んでもらいたいというより、ゆかりさんが読みたくなるなあ、と思わせるほうが大切ではないのか。
みんなに好かれたくて愛してほしいと思ってしまっていて、でもそのみんななんて存在しなくて、ツイッターのフォロワーも多分現実にはいない。あるのは目の前のディスプレイやスマホの画面だけ。その人たち用の自分で良いのか。自分ってなんだろうみたいに思春期的思考になっていた自分がどこにいるのか、迷って、現実の今ここ!にしかいないのに迷うって方向音痴にもほどがある。
自分の感受性を誰かに委ねていた。しかも無意識で。それに気づいていなかったので、しっかりしなければいけない。文章をどうしようと他人の感受性の中で考えていた。
ゆかりさんが楽しんで書いたら良いとずっと言っていた理由がわかった。この楽しいは好かれる楽しいではなく、自分が楽しいの楽しいだ。
薄く開いたカーテンの隙間から青空が見える。いつのまにか季節は変わっている。変化にはいつも気づかない。変わった後に気づく。

2/9

何度も言っているけど、すぐに忘れてしまうから自分はだめだし、簡単なほめ言葉にほいほい乗って回転ベッドの上で乗られてしまって、いぬのおまわりさんの最後みたい、二人で泣いて終わるだけ。どうしようもないし、雪は降ってきたので、朝一で帰りたいなあと思っても仕事はあって、仕事がまだあるからお金はもらえて、なんだろうこのシステムと考えたら、ブロガーがオンラインサロンを始めて叩かれて、人は叩き叩かれ、我に和にパニックだな、と思うけれど、そんなことより昨日家でワイファイを繋ぎ忘れてユーチューバーの暇つぶしの動画を見てしまったから、もう速度制限で生きる制限をかけらたみたいに電車の中で拘束。生きるの面倒とは思いませんか。家の中で、家の中で暮らしてみたいと思いませんか、フフッフーあーあ。
誰かの言葉に嫉妬して、日記ではなく言葉でもなく、文章ではない何か書き始めているけど、本当は眠りたいし、滲んだパソコンの文字では、うまく言葉を探せないから、脳内垂れ流して、それでもいいやってなっている無意味で無味な自暴自棄。
心地よい言葉と感触はまるで間食みたいで、もらえばもらうほど太って感覚も鈍って、どんくさくなってドンクライとどのくらいのボリュームで言っても聞きたくないから、心地の良さを消したくて、それってあれですよねー大学生の時に辛くてミクシィ消した時とおんなじですよねー成長してないんですかー、もう同級生はえらくなってますよーあなたはえろくなってるだけー。マスタベぬきストxvideoを見すぎて、東京には全裸の人間しかいなんじゃないかって、外に出たら空気は冷たいし、電車から降りてきたおじさんには体をぶつけられて、世間も冷たいし、鬼は外って豆投げてしまったから、社会は鬼だらけ。

 

2/6 ふと

誰かのことを思い出す時に、その誰かは僕のことなんか思い出していなくて、さらに僕のことを思い出してくれている時は、僕は何も考えていないことがくやしいだなんて思うことがあるコンビニの前の横断歩道で左右に首を振れば、機微の霧が漂っていて、渡る時に映画の中にいるような気がしたので、誰かに伝えたいと思ったけれど、もう夜中の真ん中の最中だったので、その気持ちを彼方に投げるようにあなたへ届けばいいと思っているコンビニの中へ入り、左右に首を振って小腹が空いた時に最適なものを探す。
夜中に君に電話したくなったり、話したくなったりする歌が多いのは、ひとりだからだと思っているコンビニは光っていて、霧の中にいるとまるでUFOみたいねってコンビニの中でさっき見たことを思い出して、UFOの中の食糧は少なく、食べるものがなく、コンビニを出ると、祖母の家のインターホンと同じ音が鳴る。

 

 

1/31 チーズあられ

1/31

チーズあられ在庫残2。
1月が終わるというのにチーズあられのことを考えてしまう。買っているチーズあられはあまりよく見かけないパッケージのチーズあられなので、脱法チーズあられなのかもしれない。合法チーズあられはどこにあるのだろう。ダイソーか駄菓子屋か。そこまで行くのは億劫だ。コンビニか近所のスーパー売っていてほしい。
チーズあられが部屋に降り注いでほしい。ゆかりさんは僕がチーズあられを大切そうに食べている姿を見て、私はお腹いっぱいだからと、チーズあられを食べようとしなかった。お腹いっぱいでも食べることができるのに。チーズあられは別腹というか食欲ではない。性欲だ。いや性欲ではない。そんなあの形に興奮なんてしない。でも別腹というか別次元の存在というか、なんだろう。え、チーズあられって食べ物だったはず。コンビニで売っているのは脱法チーズあられなので、合法チーズあられが欲しい。そもそも昔住んでいたところは、山の中だったので、コンビニがなかった。コンビニへ行くには自転車で10分走らなければいけなかった。夜になると車も通らない。開店した時にはこんな場所にコンビニができるなんて!と驚いたが、微妙に遠いのであまり行かなかった。
でも今は近くにコンビニがある。コンビニってなんでもあるね。安心する。愛はコンビニでも買えそうだし、もう少し探したくなるし。
ただチーズあられがない。チーズあられに性的興奮って、もしかしたらチーズあられのあられからあられもない姿で、そんなことを考えてしまったのかも。チーズあられを指輪のように指に置く。そして食べる。なまめかしい。今一番チーズあられを艶やかに食べられるかもしれない。一番はいいものだ。小説の今後のスケジュールを考えたら、もうずっと書いていなければいけない状態で、どうしようもない。でも書くのは好き。疲れるけど、好きだから書いていたいけれど、寝るのも好きだし、チーズあられも好き。

今日は夜に雪らしい。仕事が終わり外に出ると雨だった。雪ではなく、久々の雨では傘がさし慣れていなくてリュックが濡れてしまう。

なんとなく帰り道にドラゴンボールのことを考えてしまい、過去の映画を検索する。懐かしい小学生のころによく観た映画。両親に連れて行ってもらっていた。両親なんてドラゴンボールに興味がないだろうに。映画を一緒に観て、興奮気味に映画の内容をなぞる僕の話を聞いてくれていたなと思い出すと、そんなことを考えると懐かしさより、両親の愛に目元が熱くなる。愛されていたなあ。
一緒にアニメを見ていると、これはいいもん?悪もん?と聞いて話を聞いてくれてたな。泣きそうになったので、もう少し親孝行をしようと思った。書いた小説も何冊か買って両親の友人に渡しているらしい。嬉しい。自慢の息子になれていないけれど、きちんとしなければな、と思う。今日はチーズあられを買わずに帰ろう。

1/30 チーズあられ

1/30

チーズあられが好きだ。ずっと好きだったけれど、駄菓子屋に小さな袋に入ったものか、大きなダイソーにしかなかったので、偽物ちっくなチーズあられを見つけただけでも嬉しかった。
近所のスーパーにゆかりさんの名前でチーズあられを販売してくださいとご意見要望書の紙に書いたことだってある。その質問にはスーパーから答えてもらっていない。チーズあられとはなんだろうと思ったのかもしれない。
チーズあられは駄菓子で、大人の親指の爪を剥がしたようなフォルムをしていて、きつね色をしている。味はうすしおとチーズが混ざったようなおいしさで、なんでこんなに僕が惹かれているのかもわからないくらい、小さな頃から食べているお菓子だ。
近所のコンビニと、コンビニみたいなよくわからないまいばすけっとの亜種みたいなお店で売っていたの見つけたときは、買い占めても怒られないと思っていた。でも僕以外の誰かにもチーズあられと出会ってほしいと思ってふた袋買ってあとは残しておいた。でも今日またふた袋買ってしまったので、もうなくなるかもしれない。
チーズあられを食べたので小説を書いてクタクタの体でスクワットをやりました。チーズあられのためなら。久々に再会した初恋の人のよう。

 

1/29 ささくれ

1/29

 

小説を書いている。締め切りが月末で、まだどうしようという一つの引っかかりがなくて小説や漫画を乱読している。速読の天才のようにぱらぱらとめくって自分の中に求めている言葉が浮かばないかを探していた。

誰かの言葉で救われるとか、新たな考えが浮かぶように、僕のこの日記もなんて思うけれど、練られていない眠い目をこすって書く日記には特に引っかかる言葉なく、ただここにある今を今、様になるように書いているだけで、どうにかなりそうもない。

ストレス解消のような、甲斐性のない文章は苦笑の実情。現実は事実より真実には遠くてどうしようかなあとどうしようもないのに思っていることが多く、本を読みまくって、小説を書いて、でも体調は久々に良くて、月末で2月になったら定期を買わなければいけないなあとか、あと買うものはなかったっけ、とか、芥川賞獲った本も買いたいけれど、なんか読む本多いよな、今。小説書いていると、決まった本しか読まないから、本当ダメ。全然広がらない。人にも会わなきゃなのに全然会おうとしない。昔の自分はどこへ行ったのだろう。何もリスクのない文章を日記だからと言い訳して、勝手にオナニーしてるだけ。

読んでいた漫画をめくったら、全部真っ黒の中隅だけが白くて、真っ黒な感情の中にかすかにある光のように見えて、これはすごい演出だなと思ったらそれはただ隅が折れて次のページが見えているだけだった。

勝手に物語を作ってしまう。小説を書いているからではなく、みんな。

Twitterを見て無意識何かを思ってしまう。それを吐き出すと何か相手に思われてしまう。それが怖くなって小説に逃げる。孤独に走る。盲目に頼る。誰かの言葉は誰かの言葉で僕の言葉ではないことは当たり前なのに、これほど自分を表されたら、どうしようって思うよね、って思う夜道の街灯はLEDで月よりも明るい。

ささくれを剥くようにキーボードをたたいて終わり。